東京高等裁判所 昭和26年(う)623号 判決
而して昭和二十五年十一月三十日附原審第七回公判調書の記載によれば、職権により弁論を再開した上、裁判官は証人として内田武平及び武田照を尋問する旨証拠決定を為しながら出席している検察官、被告人及び弁護人の意見を聞いた形跡がなく、次いで同年十二月七日附原審第八回公判調書の記載によれば同期日において前記各証人の尋問が行われたことは所論のとおりであつて、右第七回公判期日における証拠調の決定は明らかに刑事訴訟規則第一九〇条第二項に違反したものと謂うべきであるが、右各公判調書の記載によれば、前記裁判所の証拠決定に関し検察官は勿論被告人及び弁護人は刑事訴訟法第三〇九条、刑事訴訟規則第二〇五条及び第二〇六条に従い直ちに異議を申し立てず、然も前記第八回公判期日に出頭した被告人、弁護人及び出席の検察官は証人武田照及び内田武平の尋問終了後特段の意見を述べていないのであるから、いずれも右訴訟手続の違背を知り乍ら、その責問権を抛棄したものと謂うべく、而して右各証人の供述は刑事訴訟規則第二〇六条第一項但書所定の場合に該当しないから前記違法は既にこの時において治癒されたものと解するを相当とする。
以上説示のとおりであつて、原裁判所の訴訟手続は結局適法であると解せられるから、論旨は理由がない。
(二)、控訴趣意第二点について。
昭和二十五年十二月二十二日附原審第九回公判調書の記載によれば、検察官が裁判官の証拠決定に基きその請求にかかる一乃至十六の各領収証の謄本又は写を順次朗読して裁判所に提出したこと及び右調書には右各謄本及び写を被告人及び弁護人に呈示した旨の記載がないことは所論のとおりである。
而してこれらの書面は本来証拠物であると解せられるが記録第二九五丁乃至第三一〇丁に編綴されているところにより明らかなようにこれらの証拠はいずれも謄本又は写であつて原本自体ではないのであるから、証拠調手続により裁判所に顕出されるに当りその書面の意義のみが証拠価値を有するに過ぎず、その存在自体には意義がないと言えるから、訴訟法上、証拠書類と殆ど同一視し得るものである。而して前記原審第九回公判調書の記載によれば、弁護人は右各書面の原本の存在を認め、且つこれを証拠とすることに同意し、証拠調の請求については異議がないと述べているところから見れば右謄本及び写はいずれもその原本と記載内容を同じくするものと解せられるから、このような書面の証拠調の方法については刑事訴訟法第三〇七条の規定にかかわらず、同法第三〇五条の規定による朗読の方法によるも敢えて違法ではないと謂うべきである。
而して又必ず呈示を要するものとしても、前記第九回公判期日においては被告人及び弁護人は前記のとおり意見を述べた外右呈示のなかつたことにつき何等の異議を述べていないのであるから、刑事訴訟規則第二〇六条第一項但書所定の場合に該当しないと認められる前記各書面の証拠調の手続の違背は被告人及び弁護人においてその責問権を抛棄したものと解するを相当とする。従つて右手続の違背は既に治癒されたものと謂うべきである。